日記・コラム・つぶやき

もともと(^_^;)

お休みがちの当日記でしたが、この先しばらく冬眠します~^^(これから春やっちゅーの

訪れて下さった方、本当にありがとうございましたヽ(´▽`)/

新しいお仕事を手にして、軌道に乗ったら、また日記を書きたいな~・なんて思ってますnote

 ではでは、みなさんに素敵な春cherryblossomが訪れますように o(_ _)oペコッ

 本当にありがとうございました~~。また逢う日まで~~~~shine

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いい加減に

着物の話を書くぞ~~!

少しずつ上昇するぞ~~!

週明けに、長女が色々と検査を受けるために ちょびっと入院hospitalします。

それが済んだら、ゆっくり着物のことでも書こう^^

…かな~・なんて思ってます。

昔の着物・に改めてheart01heart01

今日この頃…。

久しぶりにヤ〇オク覗いたら、『こ・今年は まだ帯揚げ一枚買うてないよね!!』…などと、心の中ですぐに言いわけを考えてしまったりして(笑)

ホントに、なんで現代もののきものや帯には目が向かないのか…と、自分でもなんか申し訳ないような気持になるのですが、どうしてもどうしても、人の暮らしの気配が感じ取れるものばかりに心が動かされます…。

 それと、自分の中の「女の子だった」部分も、もっと開放したりたいなぁ・と強く思うようになったのですが…要は年ですなsweat01

 乙女なキモノにも とても魅かれます。もっと早くそんな自分を認めてやればよかったのに…。

 おへちゃでも、コロコロでも、誰に遠慮することなく、好きなようにかいらしもん着せてやってよろしかったのに…。

 ごめんね、わたし。

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寒。

 大寒から節分までの間がすごく好きなんです。

 もう少しで冬が終わってしまうのが切ない。

 そういう気持ちで過ごすのが、この厳しい寒さの中、十日に一度あるかないかのおてんとさんを見上げる晴れ渡る雪景色の朝なんです。

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 旧村の時と違って、富山市に入ってからは除雪も問題山積・という感じで大変不便になりました。

 それでも、高々4センチ積もったら命にかかわりかねない都会のニュースを見ると、『備えがあるだけいいのよね。』なんて思います。

私は雪が好き…というか、雪が降らない所では暮らせないと思います。

こんなに愛おしい。

雪が積もっている、それだけで涙が堪え切れなくなるほどに恋しい。

幼いころのように暇さえあれば雪に寝転んで遊ぶ…なんてことは無いけれど、娘時分も、おしゃれしてゲレンデに向かう友人を 『なんでわざわざ危険な雪道登って行くんだろう??』なんてキョとんとして見送るインドアっぷりだったけど、いつもいつも変わることなく雪を愛していました。

東京の雪はなんたらに汚染されてる…という話も目にしましたが、処女の残酷さにも似た高潔さで、雪にはケガレなんぞこれっぽッちも無いもんだと思いこんでいるくらい。

安全厨だと言われてもいい。

子供たちに絶望の中で育ってほしくない。

温かい食事と温かいお蒲団。

ぐっすり眠ることのできる豊かな夜を、しんしんと耳の奥を詰めてくる雪の夜を、私は子供たちに感じて置いて欲しい。

お葬式はしなくていいから、私は雪の日に死んでいきたいなぁ。

寒い日のお弔いは、参る人が大変だから、お葬式はいらない。

富山の湿った雪はゴム長でないと身動きとれなくって、狭い玄関いっぱいに同じような長靴がひしめいて、倒れて片方どこだかわからない、片方倒れて濡れてしまった…そんなのはとても気が滅入るから。

おてんとさんの光が雪を反射してまっしろしろの中、薄茶色の柔らかい髪に枝から落ちてきた雪が乗って、白い顔に真っ赤なほっぺが一層赤く染まって。

雪用の手袋の手を ぽんぽん叩いたりかさかさすり合わせたり。

どんなに整えてやっても 雪が長靴の中に入り込んで濡れてしまう。

子供の歓声に、雪の枝に隠れていた雀があわててとび上がる。

自分の幼いころの様子と全く同じことを子供たちがする。

雪は不思議だなと思う。

私、雪国に生まれて本当に果報だと思う。

 やっぱり雪の日にしもて行きたいな。でもまだもう少し先であってほしいな。

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冬の華やかさに

クリスマスやお正月や…冬には独特の華やぎがありますね^^

で、お正月には娘たちに改まった感じの小紋でも・・・なんて思いながら、こんなのを眺めてました。

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向かって左の強い色のものは次女に似合うと思うのですが、いかんせん身幅が大きすぎるのです…(;ω;)

詰めてごまかせるかどうか…。長女なら そのまま着つけ次第で・と思うのですが。でも、長女には右の灰色地の物の方が絶対よく映る…(´・ω・`)ショボーン

次女は、既に身長155センチに届こうという勢いで成長中。ワタクシ156センチ…オワタ

長女は164センチだったか…。抱きしめているつもりが「なんかつかまってる状態」の母。

それでも、ちょいちょい「ぎうっshine」として 頭なでてます(笑)

ふたり共、思春期の暴風雨の真っただ中で、家の中のみならず学校にも多大なご心配とご迷惑をかけ放題…という日々でございますんヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ穴掘って入りたい。本当に申し訳ございません。ホントに、間違いだらけの母です。

 うっかり『育児の失敗』という単語を思い出して、寿一郎先生の「育児の原理」をひっぱり出してパラパラやって どん底まで滅入りましたよ…。

ああ、こんなに為になることが沢山書かれてあったのに、なんでその時にそれをしっかり肝に銘じておかなかったやら。あ~あ( ´;ω;`)ブワッ

『育児の大きな失敗です』という一文だけが頭と心に刻み込まれて、その前後も、対策も何も分からんかった。手遅れなのだな・と勝手に納得して、またすぐ本棚に戻すなり(ますますもってダメダメ)。

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(流しの上のネギに飛びつこうとしているおキヨさん)

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とにかく冬を楽しもう。秋の半襟はもう外しましょう・・・。

冬支度を整えて、いろいろとつらいことの多かったこの年を 静かに畳んで置いていきたい。

失って初めて分かる大切さは、ひとのこころにとてつもない大きなモノを残す。

それはなかなか自分と一つにはなってくれない。

長い長い時間がかかるだろうけれど、いつかは自分の中に静かに納まって行くと思いたい。

今、この時も立ち上がれない娘と、自分の中の嵐をどうすることもできない娘のしんどさも、いつかはきっと彼女たちの心の糧になると思いたい。

冬の華やかさは、つらさをしのんで春を迎えるその日までを耐え抜くための人の知恵だと思ってみたりする。

まあ、贅沢する余裕が私にはまだまだあるということだ。

それは恵まれているということなんだ。と思う。

…ひとりごとです。

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雨の学習参観日に

全くの普段着…というか、家着houseにおろしてしまった古い綸子の小紋を着ていきました。

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何故かおキヨさんが モップスリッパ(ダメダメ主婦丸出しcrying)をくんくんdashしてますが…。

赤い着物は大好きです。赤…といっても朱色はさすがに着ませんが、紫色から出てきたような赤は死ぬまで着られると思います。

茶系の絞り(松の柄が現されていて、ちょっといい感じなんですが 画像では見事に隠れてますねsweat01)の羽織を合わせて、昭和なお母ちゃん風に。

 かれこれひと月、何だか悶々としていたのですが、少しずつ落ち着いてきて、しみじみと私は恵まれているんだなぁと思うようになりました。

なんかおかしな自己啓発の人みたいでお尻がもじょもじょしますけど、本当に、こんなにたくさんの人に気にかけていただいて、申し訳ないやらありがたいやら。

 

 子供が寂しさを抱えていること自体は 誰しも どうしてやることもできない部分があると思います。

 でも、それを誰かにぶつけたり、誰かに正面からぶつけられたり、もしくは自分自身にぶつけ過ぎてしまったり、そんなときは親として大人として、どうしたらいいのか・と。

 

 ぐるぐる思い悩んでみても、やっぱり答えは同じでした。

 大人が、自分の中のさびしかった子供時分の思いまでひっくるめて、抱っこ。

 私は子供好きな人・ではないのです。

 ただ、子供の中のさびしい部分が気になって気になって仕方がない。

自分の中のさびしい子供をそのままにして 大人になってしまったからかとも思うけど、きっとみんな それはあるんじゃないかと思ってみたりする…。

 

 私は、わたしを着物で包むことを一種の精神安定剤にしてる気がします。

 着物を着ることでいわれのない心ない言葉をぶつけられることもあるんだけど、それを差し引いてみても、着ることの温かさの方がずっと多く残る。

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 娘たちはネコが温かいという。

ネコも娘たちを温かいと思っていることがある。

 娘たちは私を温かいと思ってくれているだろうか。

 息子はネコが可愛いというけれど、ネコは息子の抱き方が気に入らなくて情けない声で助けを求める。

 でも、息子を引っ掻いてでも逃げるというようなことはしない。きっと息子のどこかを可愛いと思っているんじゃないかなぁ。

 子供達に切ない思いはさせたくない。

でも、切ない思いをしたからこそわかる温かさが必ずあって、子供達にはそういう思いを沢山沢山胸の中に溶け込ませるようにして、少しずつ進んでいってほしい。

 

私はもっと大人になりたい。

私はもっともっとお母ちゃんになりたい。

一番ツライのは子供たちなのに、涙をこらえることのできない自分が情けなくてまた泣いてしまう。

でも、いつもきりっとしてるお母さん達もきっとどこかで子供と一緒に泣いてる。

そのあと、笑えたらそれで思うんだ。

何年かかってもいいと思うんだ。

 ワタシ、たとえヒトとしてじゃなくっても、次も女に生まれたいと思う。

 男になった記憶がないからかもしれないけど、やっぱり女がいいなぁ。

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しんどい時は

きっと・やらないといけないことを一つ一つ片付けていけば いつかは抜けるんだろうな・とか。

 本当にそうやってって、いつか元の、何でもない日常に戻れたらいい。

 そう思いながら、いやいや、こうして色々と思い悩むいまも、何でもない日常の一コマなんだろうな・とも。

 自分なんぞより、しんどい今を生きてる人が山ほどいるよね。

 自分の思い悩むことなど、実は大したことではないんだよね。

 でも、だからと言って自分の悩みが不要なものだというわけでは決してないのんで。

 もう、動けない・と思うことがある。

 朝、起きることが出来ない・と思う日がある。

 息が出来なくて、でも、息を吸わないと・吐かないといけない、と思う。

 多かれ数なかれ、そんなことってある。

 子供が心から血を流しても動物達がケガや病気で苦しんでいても、私は代ってやることが出来ない。

でも、きっともう少しだって思う。

そういうのの繰り返しで、今があるんだから。

 おっしゃ!んなら また!

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を~い!

わざわざ落ち込むな!!わたし~~!!

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ゆうべ

一所懸命に綴った記事、反映ボタンを押した瞬間に『働くのやめました。』と。

ハイ消えた~( ´;ω;`)ブワッ

  (キンキンさんは 半端に赤くて好きじゃないですよ、念のため。)

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私が育てた(って、菌を地面に植えただけじゃん)まいたけがでたのよ~~~(踊る)notes

すっごい香りと歯ごたえ!おいしいなんてもんじゃなかったよ!!

 ではまた。

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とげとげを

どこかで抜かないとどんどん棘がめり込んで結局痛いのは自分なんやわ。

 それより日本語を横書きするとどうしてこんなに書きづらくて読みづらいことになるのか。

 やっぱり縦書きが好きです。

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先日、そでを通した綿縮。

この寒さの中では用もなくなったと思われ。

少しずつ納屋の二階の和ダンスに仕舞っています。

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中途半端な知識で

原発がどうしたこうした・を語るのはよくない・と思ってはいるのですが、

本当にもやもやとしていることを、自分のブログ(バカ日記ともいう)には書いておこうと思うのです。

本当に難しいことになって行くのだと思いながら、一番泣きたくなることが、「こどものために」思想。

何が正しくて、何がそうでないのかが分からな過ぎて、つい『子供のために!』という謡い文句に踊らされそうになるのは罪ではないけれど、

本当に、良かれと思ったことで 守りたいものを返って悪くしてしまったら、本当に悔やんでも悔やみきれない。

デモは、民主主義的な方法だと思うから、反対なんてしない。ただ、親の思想・主張だから、私は子供を連れては参加しないなぁと思う。(子供を預けるところがない・とかそういう話はまた別にして)

今回のデモが6万人という数字であることが何を意味するのかも、私は実際にはピンとこないけれど、小さな女の子が「お外で遊びたいから原発はいや。」と答えたことに、朝、涙が出そうになった。

お外で遊べない?のに、この子はどうしてマスクもしないでデモに参加して居る(自発的なのかどうかは不明だけど)のだろう??マイクを向けられた時だけ、マスクを外していたのかもしれない。報道は前後を切り落としてしまうから、いつもホントのところが見えないな。

擦り込みは、怖い。

誰がどこで・というものではないから得体が知れなくて怖い。

福島の花火を使わない…。

コレで本当に喰らったなぁ。

なんでそんな話になるのだろう。

検査をしないから出る意見・という次元ではないと思った。

もう、これはケガレ的発想の域じゃないだろうかと思った。

私の中の色んな汚いものがいぶり出されてくる。

 私の中の差別意識。

 差別は恐ろしいものだ。そしてナクナラナイものだ・と堂々巡りを繰り返してきた。

動物にも、服1枚にも「この子」と表現する人の多いこの雰囲気の中で、私はあえて『餌をやる』『ただの服』という言葉で表現するけれど、それは、線引きであって、自分が偉いから・というのとは違う。

それなりの一線が無いと収集がつかなくなるから。

だけど、私は今日まで、子供に恵まれて なんとか自分で食べられるものの判別がつくまで、おむつが取れるまで、自分と人様の区別が出来るまで…と色々な段階を子供と一緒に這い蹲って歩いてきた中で(まだまだ先は長い)、子連れというだけで受ける様々な冷たい仕打ちに負けそうになったことを胸に仕舞ってきた。

世間様は色々だから、もちろんとても温かいまなざしを向けてくださる方も少なくない。そんな方には本当にお世話になって、いつまでたっても忘れることなく胸のあったかいところにある。すれ違いざまの子供への笑顔が何よりの支えになってきた。

 でも、現実には、子連れというと外に出てくるな・しつけが悪い・子連れだからって態度が大きい…などの言葉やまなざしが飛んでくることの方が多かったりする。

 確かにご迷惑をかけることは多い。

 でも、子供には同じことを何度も何度も繰り返して云って聞かせてみて覚えさせて…それが何年も経って初めて本人の中に根付く。

 その「何年も」を今、世間は許しても待ってもくれていないと思う。

昔の子供だって同じだったはずなのに。

 親のしつけを責めるのは簡単だ。

親も、何年も掛けて親になって行くのに。

なぜ。原発の話題からこっちへ・というと、

こんなに、子連れに冷たい人が多く感じられたこの国で、今、原発反対と叫ぶときに「子どもたちのために」がsetになってることが多いと感じるからだ。

 子供の健康を第一に考える親の(こと、若い親の?)一番痛いところをついて、己の思想を広めようとする輩が多くいるような気がして心が浮き上がる。

アレルギーやその他の病気を引き起こしかねないような妖しい「健康法」で内部の放射線障害を取り除こうとか、こんなに危険だ危険だあなたの子供の脳は被曝していて、熱中症のような症状で倒れたのだ・トか、とんでもない話がゴマンと流れてくる。

そんな話を聞くことこそが 今スグココロの健康に影響するレベルです!と胸が締め付けられる。

本当に子供の、家族の友人のそして色々な命を心配する人を弄ぶやつが私は心底許せない。

コレを読んで『こいつ、何さまなんだろう』と思わば思え・と。

あんたは線量の心配の少ないところにいるからそんなことが言えるんでしょ・と言われればそれまで。

 でも云いたい。

たとえ、放射線の心配が大きくても、そこだけに気をとられたら、大切な、子供との暮らしの基本のき・を見落としかねない・と。

私は科学に弱いから、難しいことは分からない・でも、子供の体や心の健康を想う時、大切なのは適度な衛生と、傍にいる大人の落ち着きだって。

子供のために・という言葉にすがりたくなる気持ちを利用する奴らに憎悪の念を隠さない。

その人たちにとってそれが真実だったとしても。

 今、私が心の支えとしている言葉は、公民で教わった『家庭とは社会の最小の単位である』です。

 

捉え方は これまた人それぞれナンだけど…。

 私なんてこんな程度の人間です。

でも、こんな程度の人間が日々生きてたっていいンじゃないかなぁ・と思っています。

コレ投稿しないほうがいいんだろうなぁ。と思いながら。

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