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ああ。なんかつぶやきのようになってるブログ。

私の中の違和感は。

叔母の弔いの時、祖母(故人の母)は こげ茶の久米島に紋つきの黒羽織という姿だった。

その姿に、人の生き死にというものは日常のすぐそばにあるもので、普段の暮らしの上に一枚羽織るようなものなんだ・と、なんとなく思ったんだった。

それが、現代の暮らしの中で置き去りにしてきた何かなんじゃないか・ト。

そして、私にとっての黒の洋服と真珠のアクセサリーへのとってつけた様な違和感なんじゃないか・と。

その、たった一枚羽織るものは、とてつもなく重かったり軽やかだったりするけれど、普段の暮らしがあってこその、一枚分なんだ・とか。

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コメント

こんにちは

知識のない私は、弔事に黒の着物は親近者だけということを着付け学院で知りました。
他の場合は寒色系の色無地で、とのこと。

体系や年数が変わるたびに買い替える洋服ならば、
着物は左右されずに便利なモノかと思います。

普段の外出に着物を推奨してくれる家族も、弔事に着るのはおかしいと言います。
なんで?と不思議です。

和装を日常にしていれば、わざわざ着るわけではないのにね。

「着物を着ましょう!」と言うのに、弔事には・・・
と言うのはおかしいと思うのは私だけでしょうか?

昔からの慣習も大事だと思いますが、残そう、広めようとするならば、少しずつ少しずつ変えていってもいいような気もしますが。

投稿: うさミミの母 | 2011年10月17日 (月) 14時41分

うさミミの母さまcafe

 こんにちは^^コメントありがとうございます。

 高度成長期以来、何かと皆小金持ちで【同調するため】に使うおカネがありましたから、どんどんこんな風になってきたけれど、この先は『無い中で、あるものの中で』という、一昔前の暮らし向きに変わっていくのではないかな…と思っています。

 自分の身の丈に合った中で礼を尽くすことが少しずつ戻って来るんじゃないかしら・とか。(希望的観測(^_^;))

 私は黒羽織がもっと活用されるといいのに・と常々思っています。黒いスーツの中で帯出し姿の色無地は確かに目を引くだろうと思うので、一つ羽織ると ぐっと落ち着くのになぁ…。

 着物にかかわる人でさえ、弔事は洋服を勧めるのでがっかりします…。その人との今生の別れには、襟を正して掌を合わせたい。


 なんといっても、ある日突然!!なので、洋服だと寸法やデザインが心配です(笑)


 大事なのはココロなんだけど、そういうことよりも皆と一緒・であることが重要なのかなぁ・としみじみしてしまった次第です。

 コメント、本当にありがとうございました。

投稿: ゆん | 2011年10月17日 (月) 14時57分

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