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2011年10月

しんどい時は

きっと・やらないといけないことを一つ一つ片付けていけば いつかは抜けるんだろうな・とか。

 本当にそうやってって、いつか元の、何でもない日常に戻れたらいい。

 そう思いながら、いやいや、こうして色々と思い悩むいまも、何でもない日常の一コマなんだろうな・とも。

 自分なんぞより、しんどい今を生きてる人が山ほどいるよね。

 自分の思い悩むことなど、実は大したことではないんだよね。

 でも、だからと言って自分の悩みが不要なものだというわけでは決してないのんで。

 もう、動けない・と思うことがある。

 朝、起きることが出来ない・と思う日がある。

 息が出来なくて、でも、息を吸わないと・吐かないといけない、と思う。

 多かれ数なかれ、そんなことってある。

 子供が心から血を流しても動物達がケガや病気で苦しんでいても、私は代ってやることが出来ない。

でも、きっともう少しだって思う。

そういうのの繰り返しで、今があるんだから。

 おっしゃ!んなら また!

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何を着たのか・というだけの話。

子供達の小学校の学習発表会だったので、一寸楽しい気分になりたくて着物をえらんで…の予定が、夜中に病院に走ったりしてバタバタとしたまま今朝に至り、その辺にあるもんで、の取り合わせ~;;

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 この帯が〆たくってねぇheart04

後ろはこんな感じ(なんという写真…)

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 軽くて暖かで〆よくって…ホントにいい帯ですheart04

実は上っ張り羽織ったままで、全く脱がなかったんだけど、それでも、自分の中で背筋が伸びて しあわせ~~な気分満喫shine

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 なんで上っ張り脱がないかって…体育館はやはりそれなりに肌寒かったんですよ…sweat01

なんにも中身のない日記ですね。

とにかく、半日だけでも楽しい気分だった・というわけなのでした。

午後からは、ダッシュrunで営農の仕事だったさ!

 

 このところ、犬は入院・手術、ヤギは下痢続き。しまいに末っ子が喘息重くってドキドキひやひや…crying

 どうか、当たり前の日常に戻れますように。

子供がぐっすり眠れますようにsleepy

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悟るのは

…限りなく不可能。

古い着物を愛するが故、どうにもならないやるせなさを味わうことは多々あるけれど、

この長襦袢が着用不可能なのはいかんともしがたい~~~~~impact

 見よ!この冬景色!この雀の愛らしさ!!大好きな梅に南天!!!!

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アイロンかける前の写真でごめんなさい;;

 もうもう、すごい虫食いで、元の持ち主いわく、

「…数年振りに包みを開いて絶句したわ…。」。

 捨てるには忍びなく、スズメ狂の私ならどこかとってくれるだろうと、泣く泣く譲って下さいましたん。

 そっと手洗いしただけで、あちこち擦り切れていく~~impact

 ここ怖い~~crying

肩裏や袖口にも継ぎ当てがされていて、もともとギリギリまで着倒すぜ!的な想いが詰まっていたもののようです。

嗚呼、いとしや。

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この猫もいとしや。

 …一度でいい(とは言わないが)、長襦袢として袖を通したかったよ~;;

モスは切ないのぅ。

一体、コレを描いた人はどんなことを想ったんだろう。

コレを描かせた人はどんな暮らしをしていたんだろう。

 南天に雪持ち梅は、主人を守ったろうか。

雪の季節のように寒い時も、この雀のようにふっくらと過ごせたろうか。

 …知る由もないけど。

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ああ。なんかつぶやきのようになってるブログ。

私の中の違和感は。

叔母の弔いの時、祖母(故人の母)は こげ茶の久米島に紋つきの黒羽織という姿だった。

その姿に、人の生き死にというものは日常のすぐそばにあるもので、普段の暮らしの上に一枚羽織るようなものなんだ・と、なんとなく思ったんだった。

それが、現代の暮らしの中で置き去りにしてきた何かなんじゃないか・ト。

そして、私にとっての黒の洋服と真珠のアクセサリーへのとってつけた様な違和感なんじゃないか・と。

その、たった一枚羽織るものは、とてつもなく重かったり軽やかだったりするけれど、普段の暮らしがあってこその、一枚分なんだ・とか。

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を~い!

わざわざ落ち込むな!!わたし~~!!

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地味好み?

…だとはあまり思っていないのですが、先日お会いした方に『地味な着物』だといわれて面食らいました。

 そうかな。

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 確かに、ほかの方に比べると色数も少ないし、普段着普段着してるから、地味な印象だったかも。

一寸思うところもあって、そもそも地味って何だろうか・と考えてしまいました。

着物だけを指して地味という場合と、その人の姿そのものの印象が地味・という場合とでも、ずいぶん違うものだしなぁ。

 たとえば 私は赤みの強いものを着ても あまり華やかになる気はしない…sweat01

 

 さておき。

私の手元に来たての着物、なぜか今回は 『お悔やみ』系がまとまってました。

 木綿の黒紋付に麻のそれ、木綿の八寸(共帯だろうと思う)などなど…。

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江戸時分の木綿の袷の黒紋付。かなり小柄な方のもの。重かったろうなぁ。

 直に畳に置いてごめんなさい。

 そんでもって、『それとしても袖を通した』系も一緒に。

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黒のお召しちりめん。縞です。裾回しはちりめんの着物の繰りまわしのようで、地模様が様々な凝ったものが付けてあります。

こちらは私くらいの人のものだったみたい。三尺七寸五分。

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こちらは少々照りがあるんですが、落ち着いた年配の方のお召。

おキヨさん査定中(笑)

三尺七寸でした。

 昔って、みんな そんなにたくさん着るものを持ってるわけじゃなかったから、いろいろ繰り回したんだろうな。

 今は、着物そのものが特別になっちゃって、用途に合わせて色々そろえて当たり前・みたいになって、それを裏打ちするように色んな決まりごとをくっつけて、みんながんじがらめになってる気がする。

 大切なのは、なぜ、今、これを纏うのか・というところだと思うのに、そんなのどっかに置いてきて、やれ『格が高すぎる・低すぎる』、やれ『わざわざ着物で出てきて。洋服でくればいいのに』。

 確かに紋を五つも背負うことはなかなかないけど、出過ぎないけれど失礼のない装い・であっても、『知らない人から見たら大仰』で済まされてしまう…。

40を過ぎて、身内にも様々な変化が目に見えて増えています。

出来ることなら袖を通したくないものが、とても大切になってくる。

私の祖母が、母が、してきたように 地味な着物に黒の紋付羽織を選ぶことさえ着飾っているようにみなされることの切なさ。

 

疲れてきた体型を優しく包んでくれる着物は、悲しい気持ちにも とても優しいのに。

取り急ぎ、悲しい知らせを受けて駆けつけました…という気持ちは、黒い洋服にわざわざ真珠のアクセサリーをつける・という装いよりも悪く目を引くのだろうか。

 私は、そんなにずれているのだろうか。

 

 少数派であれば、全て協調性がなく意固地な人間・というわけではないと思うのだけれど…。

…旅立ってゆく人を送る・という気持ちは、衣類の和洋を問うのかしら。

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ゆうべ

一所懸命に綴った記事、反映ボタンを押した瞬間に『働くのやめました。』と。

ハイ消えた~( ´;ω;`)ブワッ

  (キンキンさんは 半端に赤くて好きじゃないですよ、念のため。)

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私が育てた(って、菌を地面に植えただけじゃん)まいたけがでたのよ~~~(踊る)notes

すっごい香りと歯ごたえ!おいしいなんてもんじゃなかったよ!!

 ではまた。

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