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中途半端な知識で

原発がどうしたこうした・を語るのはよくない・と思ってはいるのですが、

本当にもやもやとしていることを、自分のブログ(バカ日記ともいう)には書いておこうと思うのです。

本当に難しいことになって行くのだと思いながら、一番泣きたくなることが、「こどものために」思想。

何が正しくて、何がそうでないのかが分からな過ぎて、つい『子供のために!』という謡い文句に踊らされそうになるのは罪ではないけれど、

本当に、良かれと思ったことで 守りたいものを返って悪くしてしまったら、本当に悔やんでも悔やみきれない。

デモは、民主主義的な方法だと思うから、反対なんてしない。ただ、親の思想・主張だから、私は子供を連れては参加しないなぁと思う。(子供を預けるところがない・とかそういう話はまた別にして)

今回のデモが6万人という数字であることが何を意味するのかも、私は実際にはピンとこないけれど、小さな女の子が「お外で遊びたいから原発はいや。」と答えたことに、朝、涙が出そうになった。

お外で遊べない?のに、この子はどうしてマスクもしないでデモに参加して居る(自発的なのかどうかは不明だけど)のだろう??マイクを向けられた時だけ、マスクを外していたのかもしれない。報道は前後を切り落としてしまうから、いつもホントのところが見えないな。

擦り込みは、怖い。

誰がどこで・というものではないから得体が知れなくて怖い。

福島の花火を使わない…。

コレで本当に喰らったなぁ。

なんでそんな話になるのだろう。

検査をしないから出る意見・という次元ではないと思った。

もう、これはケガレ的発想の域じゃないだろうかと思った。

私の中の色んな汚いものがいぶり出されてくる。

 私の中の差別意識。

 差別は恐ろしいものだ。そしてナクナラナイものだ・と堂々巡りを繰り返してきた。

動物にも、服1枚にも「この子」と表現する人の多いこの雰囲気の中で、私はあえて『餌をやる』『ただの服』という言葉で表現するけれど、それは、線引きであって、自分が偉いから・というのとは違う。

それなりの一線が無いと収集がつかなくなるから。

だけど、私は今日まで、子供に恵まれて なんとか自分で食べられるものの判別がつくまで、おむつが取れるまで、自分と人様の区別が出来るまで…と色々な段階を子供と一緒に這い蹲って歩いてきた中で(まだまだ先は長い)、子連れというだけで受ける様々な冷たい仕打ちに負けそうになったことを胸に仕舞ってきた。

世間様は色々だから、もちろんとても温かいまなざしを向けてくださる方も少なくない。そんな方には本当にお世話になって、いつまでたっても忘れることなく胸のあったかいところにある。すれ違いざまの子供への笑顔が何よりの支えになってきた。

 でも、現実には、子連れというと外に出てくるな・しつけが悪い・子連れだからって態度が大きい…などの言葉やまなざしが飛んでくることの方が多かったりする。

 確かにご迷惑をかけることは多い。

 でも、子供には同じことを何度も何度も繰り返して云って聞かせてみて覚えさせて…それが何年も経って初めて本人の中に根付く。

 その「何年も」を今、世間は許しても待ってもくれていないと思う。

昔の子供だって同じだったはずなのに。

 親のしつけを責めるのは簡単だ。

親も、何年も掛けて親になって行くのに。

なぜ。原発の話題からこっちへ・というと、

こんなに、子連れに冷たい人が多く感じられたこの国で、今、原発反対と叫ぶときに「子どもたちのために」がsetになってることが多いと感じるからだ。

 子供の健康を第一に考える親の(こと、若い親の?)一番痛いところをついて、己の思想を広めようとする輩が多くいるような気がして心が浮き上がる。

アレルギーやその他の病気を引き起こしかねないような妖しい「健康法」で内部の放射線障害を取り除こうとか、こんなに危険だ危険だあなたの子供の脳は被曝していて、熱中症のような症状で倒れたのだ・トか、とんでもない話がゴマンと流れてくる。

そんな話を聞くことこそが 今スグココロの健康に影響するレベルです!と胸が締め付けられる。

本当に子供の、家族の友人のそして色々な命を心配する人を弄ぶやつが私は心底許せない。

コレを読んで『こいつ、何さまなんだろう』と思わば思え・と。

あんたは線量の心配の少ないところにいるからそんなことが言えるんでしょ・と言われればそれまで。

 でも云いたい。

たとえ、放射線の心配が大きくても、そこだけに気をとられたら、大切な、子供との暮らしの基本のき・を見落としかねない・と。

私は科学に弱いから、難しいことは分からない・でも、子供の体や心の健康を想う時、大切なのは適度な衛生と、傍にいる大人の落ち着きだって。

子供のために・という言葉にすがりたくなる気持ちを利用する奴らに憎悪の念を隠さない。

その人たちにとってそれが真実だったとしても。

 今、私が心の支えとしている言葉は、公民で教わった『家庭とは社会の最小の単位である』です。

 

捉え方は これまた人それぞれナンだけど…。

 私なんてこんな程度の人間です。

でも、こんな程度の人間が日々生きてたっていいンじゃないかなぁ・と思っています。

コレ投稿しないほうがいいんだろうなぁ。と思いながら。

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コメント

お久しぶりです。
なんだか、何でも「勝ちか負けか」「テロにつくかアメリカにつくか」「白か黒か」「愛護か虐待か」
…って、二者択一しかないことが怖いなと思いますね。
その時々に最善と思われるチューニングをする考え方の余裕が必要でしょうね。
「そこにいない弱者」を持ち出す論調もヘンです。

投稿: かざみ | 2011年9月23日 (金) 13時06分

( ´;ω;`)ブワッかざみさまcafe

 本当に失礼いたしました。こんなに返信が遅くなってからに…。ごめんなさい(;ω;)


 私は科学や医学の知識がないものですから、違和感を覚えることを調べてみる…というスタンスなんですが、かざみさんならきっと根拠を持って感じられることが沢山あるのでしょうね。
 甲状腺の異常値…という話が出たときも、人選や何かの説明があまりに少ないニュースだったことに不安を覚えました。
 かざみさんのおっしゃるように、二者択一という風潮がとても気になります。

 私は優柔不断なのでしょうが、この二月末に身内がクモ膜で倒れ二カ月生死の境にいて、その間、震災のニュースを見聞きするにつけ、医療の充実と電力の安定供給がなければこの命はなかったと思い知らされたので、『どちらが正しいか』とか『どちらかを選べ』とか、そんな風には答えられないのです…。

 

投稿: ゆん | 2011年10月10日 (月) 21時57分

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