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2011年4月

願う春。

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先週末、集落の春祭りがありました。

嫁いだばかりの新妻heart04の振り袖姿が眩しいわ~shine

今年も田畑の仕事が出来る。

今年もPTAの役員が出来る(…子供が無事であればこそ・と思った)。

車で事故を起こすことなく日々過ごせている。

ヤギをはじめとした家畜、家禽達も元気でいる。

これが幸運でなくて なんであろう。

・・・ってね。

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 小高い草場でまったりしていたのに、道行の笛太鼓に驚いて顔を上げる親子(笑)。

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 かつて 獅子打ちをしていた甥っ子たちは高校生中学生となり、今では獅子を回しはじめ、嫌がってグダグダしていた末っ子も 太鼓に合わせて力いっぱい地面を踏みならし、笛に乗って身をひるがえすようになりました。

その分 私らは年をとっているんだなぁ。

順番って、ありがたくって切ないもんだなぁ。

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 どうぞ、この八幡様がずっと私の子供たちを守って下さいますように。

 この山の風景が 変わらず此処にありますように。

 皆に笑顔があふれますように。

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入学式日和^^

 今朝、七時にお友達の着付けに行きました。

末っ子(4番目)の小学校入学cherryblossomおめでとう~shine

 うちの村は、小学校の入学式の着物率が大変高いupのです。

主に訪問着です。友人も訪問着を選択。

 いつもよりも丁寧に着つけるため、腰枕も当てました。

補正は好きじゃないけど、着せる・ということを考えると やはり便利なもんですねぇ。

 肌襦袢が行方不明ということだったので、ワンピース状のものを持参しました(さて、という時になって足袋もない!と、速攻でお隣の家に借りに行きました。なんかいいぞ、そういう貸し借り!)

…普段着ることはなくとも、やっぱり嬉しいもんだよね。特に主婦になったら、こんな風におめかしなんてすることないしさあ。

 

 民宿経営してて働き者の彼女。

 そういえば、昔はピンクハウスなんかをよく着てたなぁ。気がついたら子供が生活のど真ん中で、それどころじゃなくなってたんだろうなぁ。

 子供達が「おかーさん、かわいいheart04」って誉めてました。

 お天気が良くて、午後、スーパーに行ったら、晴れ着姿の親子がちらほら目につきました。

 せっかくの晴れ着だもの、すぐに脱がないで、親子でお昼ご飯なんて素敵だなぁ。

 

 いいもんだ。

着物姿の春って、何ともありがたいもんだ。

 今までは『着せてほしい!』って言われても、「いやぁ…、私、ちゃんと着せられないから。」と、すべてお断りしてきたんです、実は。

 でも、よく考えたら、なんで出来ないと思ったんだろう?やってみてないのに。娘の振り袖は着せるのに。

 責任を持ちたくない自分・というものが恥ずかしくなって、今回はさせてもらうことにしました。

 自分の泥臭い着姿に文句つける方もあるんだけど、それでもお願い・といってくれる人がいるのに断るなんて愚かだったぜ…。

 ヒトに着せつけるときはあまりしわのないように、先すぼまりに、お太鼓らしく・でも苦しくないように。

 そんなことを楽しんで着せられて、とても嬉しかったです。

 いい入学式だったかなぁ。

明日、小物を引き取りに行かないとね。

そんな私の本日の着物は、琉球風のウール氣の紬(単衣)にウールの真っ赤な名古屋帯、に艶やかなオレンジの引っ張り…。

要するに、いつも通りです(笑)

早く、み~~んなが心から笑える日が来ますように。

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春は。

いろんな感情が入り乱れがちです。

なんとなく置いてけぼり食らったような切なさでポツンとしがちで、苦手でした。

なのに、今日は生まれて初めてじゃないかというほどに、春ってありがたいんだな・と思いましたよ。

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雪が多くて、なんとも寒くて縮こまりがちだったこの冬。

身内が倒れ、生活が一気にひっくり返った中に ポコンと生まれてきた子ヤギたち。

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毎日 病院と家を往復し、子ヤギの体調管理に気をもみ、なんだかわけのわからない所へあの大震災。

原発事故まで起きた日には、どこまでが現実の世界なのか分からなくなりそうなほどでした。

神戸の震災の時もそうだったけど、自分が無力であることを叩きつけられると、本当にうつむいて体中の力が抜けてしまいます。

でも、本当にしんどい人たちに 自分が出来ることは何かってじっくり考えたら、やっぱり普段通りの暮らしを大切にして、できる限りの募金と、できる限りの経済活動と、子供たちの健康を守ることに尽きると思うから、うつむいてると気づいたら、深呼吸してなるたけ顔は上に向ける・と。

音楽で自分の気持ちと向き合う・ということも続けています。

自粛自粛・という向きもあるそうだけど、私はそれには疑問を抱くのです。

 人それぞれなのでしょうが、花火は逝く人の御魂を慰め 天に送るものだから、色々な条件が整うなら開催していただきたいと思うし、お祭りに至っては、神様を崇める大切な日なのだから、こんな時こそ参るべきと思っています。

 子供のころから云いきかされて育ちました。

『仏さんは救うてくれはるのんと違う。自分が心をたいらかにするためのお手本や。神さんは、大事にお祭りしたら願いを聞いて、よう守ってくらはるけど、いったんおろそかにしたら祟らはんねんで。怖いねんで。そやから一回祀ると決めたら、しっかり続けていかなアカン。』と。

 無駄なことってないんだな・と思ったのは、昔 原発についてものすごく恐怖にかられてさまざまな本を読み漁ったこと。

 とても怖くて、なんのためにこんなものを!!と思ったけれど、おかげで今も正しく怖がりながら、子供達に少しずつ話して聞かせることが出来ている。

 本当に本当のことは子供達には言えないけれど、今・起きていることと、そのために身を守ることを話すことができる。これは有難いと思っています。

 あのとき、ひたすら本を読んだり絵を描いたり、そんな贅沢な時間の使い方をさせてもらえたことに感謝しています。

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 富山の子供は、『立山があるから、大きな台風からも、地震からも守られとるんや。』と云いきかされて育ちます。(ついでに言うとこの橋の下を流れる神通川に捨てられていたお前を拾って育ててきたんじゃ。・という話も必ず聞かされました)

色んな記憶と気持ちが乱れる中、今朝、お向かいの息子さんが仕事仲間にヤギ見せたいんだけど…と話し掛けてくれました。

そしてまだあまり生えていない中から美味しそうな草を摘み取って持ってきてくれたその女性は、何とも言えない明るい笑顔で、マキシ丈のパッチワークのスカートに可愛いブーツで春の風を裾に絡ませて、ヤギやウサギを抱き上げてくれました。

この人が春を運んできたみたいだと思いました。

春って、素晴らしいんだな・って。

どんなことがあっても、死ななきゃいけないその日まで、生きていかなきゃね。

私にも出来ることがきっとある。

私にも、きっと何か出来る。

そんな風に。

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