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ひとつ。

私のこの日記に、奢りや昂りがもしあっても、読んだ方の心の中で雪のように包んでおいてください。

トラのマスクをかぶった人の名を使って始まったらしい様々な寄付の活動。

私は、その行為自体には何もコメントはなくて、まあ、いつも通り、『私って、何か欠けてるんだろうな。』と思ってみたりします。

只、数日前、地元局の夕方のニュース番組で やはり何かしらの寄付があって、その施設の職員のコメントなどを放送していたのを見たとき、胸が詰まったのです。

 カメラは施設内を映し出していました。

 その中の きっと皆が遊んだりする共同のスペース。

 主にピンクの色調で 色々な紙細工やポスターのようなものを貼り、絵本などがきちんと並べられたその部屋。

 …図書館の読み聞かせ室とか、児童館の談話室とか、そういうところと同じでした。

 私は、わかっていなかった・と思いました。

 子供たちに、温かさと楽しさと安らぎを演出する空間独特の空気というもの。

 其処に生活の匂いというものはありません。

 暮らしというものの気配は、こうまで濃密なものだったかと、こんな当たり前のことさえ 私は分かっていなかったのです。

 明日、児童館で子供たちと遊んできます。

 友人は指編みをする予定で、私は針と糸を使った手品遊びをしようかと。

 児童館に行くたびに、私は『こらぁ!』を連発します。

 子供たちは、児童館の先生方に とても失礼な言動を「ワザと」するから。

 ここ数年で 目に余るほどひどくなりました。

 子供がうまく甘えることができなくなったのか・それとも ただ背伸びしてそんな態度をとるのか。そこのところはなんとも言えませんが、とにかく、子供たちは何かを使い分けています。

  大けがをしない程度に痛い思いをする、そんな遊びを子供たちに。

 それをテーマに、いつも本を選んだり、工作遊びを考えたりしています。

 痛いこと、危ないことに注意をし、それを超えた時の子供たちの小鼻のふくらみを見るとき、私は、自分の中の痛いものが少し減ったような気がします。

 ボランティア活動なんじゃない…。わざといやな云い方をするなら、これはマスターベーションなんだと思います。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ゆんさん、おはようございます
オイラもそう思います。
初めのタイガーマスクは良かったンです。
ですが、あとからゾロゾロ…
マスコミは善意の輪が広がったと表現してますが、
オイラは善意ごっこをしているンだと思います。
本当の善意はこれ見よがしにするもんじゃありません。
『そろそろ俺の出番かな』と言って矢吹丈が現れたとか、
これには本当に違和感を感じます。
ああ、オイラより先に思ってる事を書かれてしまった。

しかし寒いですねぇ~。ご自愛下さいませ。

投稿: kikuryu | 2011年1月15日 (土) 09時56分

kikuryuさまsnow

 こんにちは!コメントありがとうございます。

 たとえ連れ合いであっても、相手の求めるところを知る・というのはきっと永遠に無理なんだとは思いますが、知ろうとすることはとても大切ですよね…。

 もし、本当に子供たちのために・と思うなら、100円でもいいから、長く続けることが一番理想的なのではないかと思います。自分の生活の基礎を踏まえたうえで、気持ちよくできる協力を。

やはりマスコミの煽り方に強い違和感を覚えましたし(どんな話題のときもそうですが)、18になって施設を巣立つ人ヘの理解や協力体制ってどうなってるか、そこまで発展させた報道はないものか・と。


カワイソウ・は嫌なんです。

投稿: ゆん | 2011年1月15日 (土) 14時05分

善意と偽善の堺が曖昧で、判断しかねます。
マスコミが言うように、本当に善意が広がっているのか、
それとも「善意ごっこ」なのか。
いずれにしろ、そこには対象となる子供達が居るわけですから、
一時的な気まぐれでは却って傷つけはしないかと・・・
20代の半ばに乳児院を訪ねた事がありました。
まだ言葉も未完成な子供達が、きちんと教えられたままに
行動しているのを、呆然と見つめて居た私。
そこに居たのは、私が知っている乳幼児ではありませんでした。
子供らしいワガママが許されない場所・・・のような気がしました。
外に出た途端にブワッと涙があふれてきて、自分でも驚きました。
涙の理由が分からなかった。
子供達があそこで何を見て育ち、どんな風に社会に出て行くのか。
どうか穏やかな道のりであるようにと願うことしか出来なかった。
今回の騒動は、決して悪いことでは無いと思います。
が・・・何か違和感があって、ぬぐいきれません。
自分では何も出来ないくせに、おおっぴらな善意には斜めに視線を送る。
本当の偽善者は、私かもしれませんね。

投稿: 夢 | 2011年1月15日 (土) 14時33分

それぞれは、たぶん「単純な善意」なのだと思います。
障害者といると「激励」と「同情」と「憐憫」が、
同時に来るんです。どれもウソじゃない分、とても疲れます。

元々「自分にはない不幸」と言うカタチで思われると、
「誰が不幸って決めたの」って思うんです。
私はマスコミがあれだけあおるなら、
そのつど「行政の上のほう」に
「このことをどう思われますか」と聞いてほしいんです。
「本来、行政がやらなきゃならないことをすみません」
という言葉を引き出すのが、マスコミのシゴトだと思うんですがね。

投稿: とんぼ | 2011年1月15日 (土) 15時04分

夢さまsnow

 寒いですね~^^;

 自分でも答えの出せないお題に対して、文字にする、その中途半端さが許せないと思いつつ、なんでこの話題にはこんなに歯切れの悪い気持ちになることが多いのかな~・と、引っかかり放題です。すみません。

 誰もが目を向けることを避けていた・その部分だからなのか。自分が偽善者であることを叩きつけられる思いです。

 多分、モノじゃない。募金程度のおカネじゃない。ヒトの手が必要なんだと。

投稿: ゆん | 2011年1月15日 (土) 16時02分

とんぼさまjapanesetea

 こんにちは。

 私、こういう問題の時、よく、行政サイドの至らなさが問われるんですが、本来は政治と社会の問題が先ではないかと思うんです。
 行政は政治で決定されたことを行使するのであって、常に板挟みにあると。

 様々な施設に一番足りないものはヒトの手だと思うんです。児童館などでも、求められる内容ばかりが増えて行くのに、職員は増員どころか学ぶ暇すら与えられないほど忙しい。

 行政が「謝っておくしかない」体制になったのには、『問題がわかっているのに、どうにも出来ない』ジレンマもあると思います。少なくとも、専門家になり得ない移動システムは、ヤル気ある職員の大きなストレスになっているのでは・と。

 マスコミは、できる限り多様な見解を示すべきではないかと思います。ビダンはもうお腹いっぱいです(p_q*)

投稿: ゆん | 2011年1月15日 (土) 16時12分

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