こどもの遊び場
こどもがはしゃぐ声が煩くて訴える。
病気でふせっているのに、こども達が公園の噴水で遊ぶ声が煩くて、耐え難い、という訴えで、噴水が止められた。
このニュースを知ったとき、ぞ~ッとした。そのアト、なんともいえない怒りがこみ上げた。訴えた人にも、それを通して、噴水を止めたほうにも。
その噴水はこどもが水に触れて遊べるように作ってあった。水を止めたら、ただの味気ないコンクリート敷きの公園だ。
水遊びをしなくとも、声が煩いと怒鳴り込まれるかもしれない。だから、きっと、その公園には、もう、親は行かせないだろうと思った。(今、どうなっているのかは知らないけれど。)
こどもたちの声が聞こえるのは、未来がある町、ということだと思う。
こども達が公園に集まって、意味もなく、走り続けながら大笑いをしている光景は、心からホッとする。私が子供だった頃は、それが当たり前で、誰も意識さえしなかった。
お寺や神社はこどもの遊び場だった。立派な瓦の屋根に、オニ役がゴムまりを投げ上げて、キャッチする間にみんなで逃げる。ボールをとったらオニが「ストップ!」と叫んで、みんなを止める。決まった歩数で誰かのところまでスキップして、タッチ!オニは交代。
犬走りのあたりに、並べて埋め込まれた石を「歯」に見立てて、杉の枝葉で磨いて遊んだ。
時々は、お宮さんの掃除も遊び半分でしていたり。
お手水の水はいつも冷たくておいしかった。おじいちゃんやおばあちゃんが、お参りの仕方を教えてくれたり、入っちゃいけない「結界」のありかを、本気で怒りながら教えてくれたりもした。
私が子供の頃は、神社仏閣、そして、畑が宝の山だった。
むき出しの地面に、こども達の歓声がやさしく吸い込まれていった。底の薄い、突っ掛け履きの運動靴は、いつも土埃で白っぽかった。膝はいつも赤チンでぎらぎらしていたし、絆創膏は大切だったから、めったに貼ってはもらえなかった。
自転車をこいで、どこへでも行けた。みんな、立ってこいだ。ハンドルを激しく左右に振って。
先日、実家に帰った折、「ボールオニ」をしたお寺の前を通った。驚いた。お寺の敷地のど真ん中に道路が通っていた。
母に聞くと、数年前に道路の分だけ買い取られたそうだ。ばかげた話に唖然とした。広かった「遊び場」は真っ二つに切られていたのだ。
そこで遊んでいた頃、どうしても近寄ることのできない場所があった。墓地の一角の木のそばだった。暗かった。陽が射しているのに、暗いのだ。
四年生のある日、勇気をだして近づいてみた。木の根元の草の中に、古い古い、小さな墓標があった。彫られた文字も角が立っておらず、相当古い様子だった。
少し離れたところに、これまた古い井戸の跡もあった。
・・と、突然、風もないのにガサガサっと音がして、我に返って、半泣きで走って帰った。
後で聞いたら、それは、お女郎さんたちのお墓だった。
旧北陸街道沿いのお寺さんで、その街道沿いにはそういったお店がたくさんあって、その無縁仏を葬っていたのだ。(昭和になっても、赤線があった、と祖母が言った。)
子供心に、世界が変わったのを感じた。ただの遊び場だったお寺さん。
こどもの遊び場には、いろんなものが落ちていた。仲よしも、仲間はずれも、ハンカチも。
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