寒。

 大寒から節分までの間がすごく好きなんです。

 もう少しで冬が終わってしまうのが切ない。

 そういう気持ちで過ごすのが、この厳しい寒さの中、十日に一度あるかないかのおてんとさんを見上げる晴れ渡る雪景色の朝なんです。

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 旧村の時と違って、富山市に入ってからは除雪も問題山積・という感じで大変不便になりました。

 それでも、高々4センチ積もったら命にかかわりかねない都会のニュースを見ると、『備えがあるだけいいのよね。』なんて思います。

私は雪が好き…というか、雪が降らない所では暮らせないと思います。

こんなに愛おしい。

雪が積もっている、それだけで涙が堪え切れなくなるほどに恋しい。

幼いころのように暇さえあれば雪に寝転んで遊ぶ…なんてことは無いけれど、娘時分も、おしゃれしてゲレンデに向かう友人を 『なんでわざわざ危険な雪道登って行くんだろう??』なんてキョとんとして見送るインドアっぷりだったけど、いつもいつも変わることなく雪を愛していました。

東京の雪はなんたらに汚染されてる…という話も目にしましたが、処女の残酷さにも似た高潔さで、雪にはケガレなんぞこれっぽッちも無いもんだと思いこんでいるくらい。

安全厨だと言われてもいい。

子供たちに絶望の中で育ってほしくない。

温かい食事と温かいお蒲団。

ぐっすり眠ることのできる豊かな夜を、しんしんと耳の奥を詰めてくる雪の夜を、私は子供たちに感じて置いて欲しい。

お葬式はしなくていいから、私は雪の日に死んでいきたいなぁ。

寒い日のお弔いは、参る人が大変だから、お葬式はいらない。

富山の湿った雪はゴム長でないと身動きとれなくって、狭い玄関いっぱいに同じような長靴がひしめいて、倒れて片方どこだかわからない、片方倒れて濡れてしまった…そんなのはとても気が滅入るから。

おてんとさんの光が雪を反射してまっしろしろの中、薄茶色の柔らかい髪に枝から落ちてきた雪が乗って、白い顔に真っ赤なほっぺが一層赤く染まって。

雪用の手袋の手を ぽんぽん叩いたりかさかさすり合わせたり。

どんなに整えてやっても 雪が長靴の中に入り込んで濡れてしまう。

子供の歓声に、雪の枝に隠れていた雀があわててとび上がる。

自分の幼いころの様子と全く同じことを子供たちがする。

雪は不思議だなと思う。

私、雪国に生まれて本当に果報だと思う。

 やっぱり雪の日にしもて行きたいな。でもまだもう少し先であってほしいな。

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おめでとうさん。

今朝、お赤飯炊きました。

次女のお祝いです。

これから鬱陶しくも、女性として、心も体も変わって行く自分と向き合っていくんやねぇ。

大きくなった。

いつもチャンバラ状態でやってきた次女と私だけど、最近は意外と仲良くなれそうな空気を感じているのよ~。

どんな時でも気を長~~く保って行きたい。

短気やから 結構苦行なんだけど(笑)

かわいい可愛い・とにかく健康で…って、それだけだった幼い時。

気がついたら、手を離れて『楽になったな~。』。

そして、その『楽』は、実はまやかしであったと思い知る思春期。

次女の場合は思春期以前から戦いの日々だったんだけど;;

今、5年生。

もうすぐ6年生。

あっという間に中学生。

どうか元気で、私に何をぶつけてきてもいいから、ずっと元気で歩いたり立ち止まったりしながら人生を何かしらの形で楽しんでください。

かわいいのぅ。

子供を持たせてもらえて果報だのぅ。

しんどいことも多いけど、子供に食べさせて、あったかいお蒲団で寝かすことが出来て、果報だのぅ。

丁度 今日がお正月。

去年と一緒に、子供だった自分を置いてきたのかなぁ。

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冬の華やかさに

クリスマスやお正月や…冬には独特の華やぎがありますね^^

で、お正月には娘たちに改まった感じの小紋でも・・・なんて思いながら、こんなのを眺めてました。

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向かって左の強い色のものは次女に似合うと思うのですが、いかんせん身幅が大きすぎるのです…(;ω;)

詰めてごまかせるかどうか…。長女なら そのまま着つけ次第で・と思うのですが。でも、長女には右の灰色地の物の方が絶対よく映る…(´・ω・`)ショボーン

次女は、既に身長155センチに届こうという勢いで成長中。ワタクシ156センチ…オワタ

長女は164センチだったか…。抱きしめているつもりが「なんかつかまってる状態」の母。

それでも、ちょいちょい「ぎうっshine」として 頭なでてます(笑)

ふたり共、思春期の暴風雨の真っただ中で、家の中のみならず学校にも多大なご心配とご迷惑をかけ放題…という日々でございますんヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ穴掘って入りたい。本当に申し訳ございません。ホントに、間違いだらけの母です。

 うっかり『育児の失敗』という単語を思い出して、寿一郎先生の「育児の原理」をひっぱり出してパラパラやって どん底まで滅入りましたよ…。

ああ、こんなに為になることが沢山書かれてあったのに、なんでその時にそれをしっかり肝に銘じておかなかったやら。あ~あ( ´;ω;`)ブワッ

『育児の大きな失敗です』という一文だけが頭と心に刻み込まれて、その前後も、対策も何も分からんかった。手遅れなのだな・と勝手に納得して、またすぐ本棚に戻すなり(ますますもってダメダメ)。

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(流しの上のネギに飛びつこうとしているおキヨさん)

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とにかく冬を楽しもう。秋の半襟はもう外しましょう・・・。

冬支度を整えて、いろいろとつらいことの多かったこの年を 静かに畳んで置いていきたい。

失って初めて分かる大切さは、ひとのこころにとてつもない大きなモノを残す。

それはなかなか自分と一つにはなってくれない。

長い長い時間がかかるだろうけれど、いつかは自分の中に静かに納まって行くと思いたい。

今、この時も立ち上がれない娘と、自分の中の嵐をどうすることもできない娘のしんどさも、いつかはきっと彼女たちの心の糧になると思いたい。

冬の華やかさは、つらさをしのんで春を迎えるその日までを耐え抜くための人の知恵だと思ってみたりする。

まあ、贅沢する余裕が私にはまだまだあるということだ。

それは恵まれているということなんだ。と思う。

…ひとりごとです。

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雨の学習参観日に

全くの普段着…というか、家着houseにおろしてしまった古い綸子の小紋を着ていきました。

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何故かおキヨさんが モップスリッパ(ダメダメ主婦丸出しcrying)をくんくんdashしてますが…。

赤い着物は大好きです。赤…といっても朱色はさすがに着ませんが、紫色から出てきたような赤は死ぬまで着られると思います。

茶系の絞り(松の柄が現されていて、ちょっといい感じなんですが 画像では見事に隠れてますねsweat01)の羽織を合わせて、昭和なお母ちゃん風に。

 かれこれひと月、何だか悶々としていたのですが、少しずつ落ち着いてきて、しみじみと私は恵まれているんだなぁと思うようになりました。

なんかおかしな自己啓発の人みたいでお尻がもじょもじょしますけど、本当に、こんなにたくさんの人に気にかけていただいて、申し訳ないやらありがたいやら。

 

 子供が寂しさを抱えていること自体は 誰しも どうしてやることもできない部分があると思います。

 でも、それを誰かにぶつけたり、誰かに正面からぶつけられたり、もしくは自分自身にぶつけ過ぎてしまったり、そんなときは親として大人として、どうしたらいいのか・と。

 

 ぐるぐる思い悩んでみても、やっぱり答えは同じでした。

 大人が、自分の中のさびしかった子供時分の思いまでひっくるめて、抱っこ。

 私は子供好きな人・ではないのです。

 ただ、子供の中のさびしい部分が気になって気になって仕方がない。

自分の中のさびしい子供をそのままにして 大人になってしまったからかとも思うけど、きっとみんな それはあるんじゃないかと思ってみたりする…。

 

 私は、わたしを着物で包むことを一種の精神安定剤にしてる気がします。

 着物を着ることでいわれのない心ない言葉をぶつけられることもあるんだけど、それを差し引いてみても、着ることの温かさの方がずっと多く残る。

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 娘たちはネコが温かいという。

ネコも娘たちを温かいと思っていることがある。

 娘たちは私を温かいと思ってくれているだろうか。

 息子はネコが可愛いというけれど、ネコは息子の抱き方が気に入らなくて情けない声で助けを求める。

 でも、息子を引っ掻いてでも逃げるというようなことはしない。きっと息子のどこかを可愛いと思っているんじゃないかなぁ。

 子供達に切ない思いはさせたくない。

でも、切ない思いをしたからこそわかる温かさが必ずあって、子供達にはそういう思いを沢山沢山胸の中に溶け込ませるようにして、少しずつ進んでいってほしい。

 

私はもっと大人になりたい。

私はもっともっとお母ちゃんになりたい。

一番ツライのは子供たちなのに、涙をこらえることのできない自分が情けなくてまた泣いてしまう。

でも、いつもきりっとしてるお母さん達もきっとどこかで子供と一緒に泣いてる。

そのあと、笑えたらそれで思うんだ。

何年かかってもいいと思うんだ。

 ワタシ、たとえヒトとしてじゃなくっても、次も女に生まれたいと思う。

 男になった記憶がないからかもしれないけど、やっぱり女がいいなぁ。

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しんどい時は

きっと・やらないといけないことを一つ一つ片付けていけば いつかは抜けるんだろうな・とか。

 本当にそうやってって、いつか元の、何でもない日常に戻れたらいい。

 そう思いながら、いやいや、こうして色々と思い悩むいまも、何でもない日常の一コマなんだろうな・とも。

 自分なんぞより、しんどい今を生きてる人が山ほどいるよね。

 自分の思い悩むことなど、実は大したことではないんだよね。

 でも、だからと言って自分の悩みが不要なものだというわけでは決してないのんで。

 もう、動けない・と思うことがある。

 朝、起きることが出来ない・と思う日がある。

 息が出来なくて、でも、息を吸わないと・吐かないといけない、と思う。

 多かれ数なかれ、そんなことってある。

 子供が心から血を流しても動物達がケガや病気で苦しんでいても、私は代ってやることが出来ない。

でも、きっともう少しだって思う。

そういうのの繰り返しで、今があるんだから。

 おっしゃ!んなら また!

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何を着たのか・というだけの話。

子供達の小学校の学習発表会だったので、一寸楽しい気分になりたくて着物をえらんで…の予定が、夜中に病院に走ったりしてバタバタとしたまま今朝に至り、その辺にあるもんで、の取り合わせ~;;

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 この帯が〆たくってねぇheart04

後ろはこんな感じ(なんという写真…)

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 軽くて暖かで〆よくって…ホントにいい帯ですheart04

実は上っ張り羽織ったままで、全く脱がなかったんだけど、それでも、自分の中で背筋が伸びて しあわせ~~な気分満喫shine

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 なんで上っ張り脱がないかって…体育館はやはりそれなりに肌寒かったんですよ…sweat01

なんにも中身のない日記ですね。

とにかく、半日だけでも楽しい気分だった・というわけなのでした。

午後からは、ダッシュrunで営農の仕事だったさ!

 

 このところ、犬は入院・手術、ヤギは下痢続き。しまいに末っ子が喘息重くってドキドキひやひや…crying

 どうか、当たり前の日常に戻れますように。

子供がぐっすり眠れますようにsleepy

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悟るのは

…限りなく不可能。

古い着物を愛するが故、どうにもならないやるせなさを味わうことは多々あるけれど、

この長襦袢が着用不可能なのはいかんともしがたい~~~~~impact

 見よ!この冬景色!この雀の愛らしさ!!大好きな梅に南天!!!!

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アイロンかける前の写真でごめんなさい;;

 もうもう、すごい虫食いで、元の持ち主いわく、

「…数年振りに包みを開いて絶句したわ…。」。

 捨てるには忍びなく、スズメ狂の私ならどこかとってくれるだろうと、泣く泣く譲って下さいましたん。

 そっと手洗いしただけで、あちこち擦り切れていく~~impact

 ここ怖い~~crying

肩裏や袖口にも継ぎ当てがされていて、もともとギリギリまで着倒すぜ!的な想いが詰まっていたもののようです。

嗚呼、いとしや。

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この猫もいとしや。

 …一度でいい(とは言わないが)、長襦袢として袖を通したかったよ~;;

モスは切ないのぅ。

一体、コレを描いた人はどんなことを想ったんだろう。

コレを描かせた人はどんな暮らしをしていたんだろう。

 南天に雪持ち梅は、主人を守ったろうか。

雪の季節のように寒い時も、この雀のようにふっくらと過ごせたろうか。

 …知る由もないけど。

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ああ。なんかつぶやきのようになってるブログ。

私の中の違和感は。

叔母の弔いの時、祖母(故人の母)は こげ茶の久米島に紋つきの黒羽織という姿だった。

その姿に、人の生き死にというものは日常のすぐそばにあるもので、普段の暮らしの上に一枚羽織るようなものなんだ・と、なんとなく思ったんだった。

それが、現代の暮らしの中で置き去りにしてきた何かなんじゃないか・ト。

そして、私にとっての黒の洋服と真珠のアクセサリーへのとってつけた様な違和感なんじゃないか・と。

その、たった一枚羽織るものは、とてつもなく重かったり軽やかだったりするけれど、普段の暮らしがあってこその、一枚分なんだ・とか。

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を~い!

わざわざ落ち込むな!!わたし~~!!

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地味好み?

…だとはあまり思っていないのですが、先日お会いした方に『地味な着物』だといわれて面食らいました。

 そうかな。

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 確かに、ほかの方に比べると色数も少ないし、普段着普段着してるから、地味な印象だったかも。

一寸思うところもあって、そもそも地味って何だろうか・と考えてしまいました。

着物だけを指して地味という場合と、その人の姿そのものの印象が地味・という場合とでも、ずいぶん違うものだしなぁ。

 たとえば 私は赤みの強いものを着ても あまり華やかになる気はしない…sweat01

 

 さておき。

私の手元に来たての着物、なぜか今回は 『お悔やみ』系がまとまってました。

 木綿の黒紋付に麻のそれ、木綿の八寸(共帯だろうと思う)などなど…。

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江戸時分の木綿の袷の黒紋付。かなり小柄な方のもの。重かったろうなぁ。

 直に畳に置いてごめんなさい。

 そんでもって、『それとしても袖を通した』系も一緒に。

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黒のお召しちりめん。縞です。裾回しはちりめんの着物の繰りまわしのようで、地模様が様々な凝ったものが付けてあります。

こちらは私くらいの人のものだったみたい。三尺七寸五分。

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こちらは少々照りがあるんですが、落ち着いた年配の方のお召。

おキヨさん査定中(笑)

三尺七寸でした。

 昔って、みんな そんなにたくさん着るものを持ってるわけじゃなかったから、いろいろ繰り回したんだろうな。

 今は、着物そのものが特別になっちゃって、用途に合わせて色々そろえて当たり前・みたいになって、それを裏打ちするように色んな決まりごとをくっつけて、みんながんじがらめになってる気がする。

 大切なのは、なぜ、今、これを纏うのか・というところだと思うのに、そんなのどっかに置いてきて、やれ『格が高すぎる・低すぎる』、やれ『わざわざ着物で出てきて。洋服でくればいいのに』。

 確かに紋を五つも背負うことはなかなかないけど、出過ぎないけれど失礼のない装い・であっても、『知らない人から見たら大仰』で済まされてしまう…。

40を過ぎて、身内にも様々な変化が目に見えて増えています。

出来ることなら袖を通したくないものが、とても大切になってくる。

私の祖母が、母が、してきたように 地味な着物に黒の紋付羽織を選ぶことさえ着飾っているようにみなされることの切なさ。

 

疲れてきた体型を優しく包んでくれる着物は、悲しい気持ちにも とても優しいのに。

取り急ぎ、悲しい知らせを受けて駆けつけました…という気持ちは、黒い洋服にわざわざ真珠のアクセサリーをつける・という装いよりも悪く目を引くのだろうか。

 私は、そんなにずれているのだろうか。

 

 少数派であれば、全て協調性がなく意固地な人間・というわけではないと思うのだけれど…。

…旅立ってゆく人を送る・という気持ちは、衣類の和洋を問うのかしら。

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